この寂しさを分析する 其の一 (Analyzing this loneliness part I)
published: 2026-2-22
last updated: 2026-2-22
language: jp
tags:
- personal
- psychology
背景
新年の抱負でブログ毎週更新を誓ったものの、1月は何も進展がないままでいたが、ようやく最近授業も終わり、このサイトに少しずつ時間をさけるようになってきた。
2月に入って、新しく書いた記事は3つ。うん、悪くないペースだ。ということで、今回は最近の悩みというか、個人的なテーマで書いてみようと思う。
唐突だが、私は大学生のころまであまり寂しいと感じたことがなかった。コロナ禍だったのもあって、世間的にも「ひとり時間」が推奨されていたためかもしれない。
友達は今思えば本当に少なかったし(まあ留年したしな おい誰だ余計なコト言ってんのは!!)、それでも、というか、それが逆説的にそこまで人との付き合いを欲してなかったことの証明になるだろう。
仮説
あらゆる科学的な分析の根幹をなす「観察された現象について、原因や過程についての仮説設定 -> 仮説の検証」というプロセスの最初の部分を、この記事では行っていこうと思う。つまり、なぜ僕が最近になって人寂しいと思い始めたのかについて、考えられる原因を可能な限り精緻な語彙をもちいてリストアップしていく。以降の記事で、それらの妥当性を検討するというわけだ。
- 仮説1: 「リアルが充実しきってない説」 - これについては説というか、まあマジであると思う。別に充実してないわけではない(本当?強がってない? テメエは黙ってろ)し、毎日何かしらやってるとは思うんだが、まあまだ足りない。本来100%の出力を出せば、もttttっと充実するだろうという実感はあるのだが。これについては「卵が先か、鶏が先か」論がそっくりそのまま適用できると思う。つまり、リアルの充実度が足りないから寂しく感じるのか、寂しいから本来の馬力が出せず、充実度が頭打ちになっているのか。もし前者が正しいのであれば、リアルを充実させる方法を実行できれば、両方の問題が一気に解決できることになる。
- 仮説2: 「質のいい交友関係が送れていない説」 ー つまり、今ある友人関係が何らかの面で不完全なために、友達と会うことに対する満足度、いわば、単位時間当たりの幸福上昇量が小さいので、必要以上に人と会う必要性が出てきているという説だ。(つまり、うまいラーメンを食えば、それで十分満足して、一週間はラーメンを食わずとも平気なのが、まずいラーメンばかり食ってると、「ラーメン一杯当たりの幸福度」が不十分なために、より高い頻度でラーメンを食わなければならなくなる、ということ その例えいる?)
- 仮説3: 「ドイツのせい説」 - (ドイツ人に謝れ)そこまで日本が恋しくないといいながらも、やっぱり心の深いところでは常にホームシックで、帰りたい、日本にいる友達に会いたい、という欲求が寂しさという感情になって表れている可能性。実際言語の壁は大きい。
- 仮説4: 「シンプルに彼女がいないから説」 - なにを隠そうこの私、彼女いない歴=年齢である(うわ、言っちゃったヨこいつ 誰のせいだと思ってんだ)。つまりすべては彼女を作れば解決する、という一元論的な解釈で、私は好きではない(提唱したのお前だかんな)。しかし、腹の立つことに不思議な説得力がある。この彼女いない問題についてはまた別の記事で扱う予定。
- 仮説5: 「実は寂しくなどなく、他の感情を寂しいと錯覚しているだけ説」ー かなり曖昧だが、ダークホースになりえる説。というのも、詳しくは後々話すが、「自分は本当に寂しいと思ってるの?」となる場面が少しあるのだ。これについては、まずそもそも心理学的にそんなことが可能なのかという所からしっかりリサーチしていきたい。